用賀エリア - 用賀1
江戸時代には大山街道の宿場町として栄えていた用賀。用賀村が周辺の村と合併して玉川村大字用賀になり、昭和7年に東京都編入時に世田谷区玉川用賀町に。
用賀1丁目
用賀1丁目10番地(当時玉川用賀)には東条英機邸が存在した。東條・田村とあるが昭和43年当時は東洋大学社会学部教授を勤めた田村健二と結婚した次女の満喜枝さんらが住んでおられたのだろうか。東条英機邸跡と碑が建っている現在は立正佼成会やマンションになっている。
現:15番地にあった東京都中央卸売市場の卸売会社、東京荏原青果が運営していた「玉川市場」。昭和47年に世田谷市場に統合された。現在は佐川急便の営業所が主に占める。
用賀2丁目
昭和13年に東京府立第11高等女学校として創立。24年に男女共学、30年に都立桜町高校と改称される。
現:16番地にあった「三井戸越農園」。三井財閥が、海外からのお客様の接待のために世界から草花を集め栽培法を研究したのが三井戸越農園のはじまり。昭和9年に品川区戸越から三井家の農園が移転、46年まで続けられた。平成5年に戸板女子高校になり、現在は「三田国際学園」に改称された。用賀神社は健在だ。
昭和7年にグラビア印刷インクを昭和インク工業所が太子堂で設立され、25年、用賀に本社工場を建設。現在も20番地の同場所はコジマ電機やマンションが占めるが同社は小さいながら存在する。
当時はまだ玉電用賀駅東口。用賀精工社が現存するので場所が同じなら田園都市線の用賀駅は少し南西側に出来る。用賀駅周辺は90年代に再開発され一変する。