経堂エリア - 宮坂(みやさか)1
宮坂の「宮」の由来はよくわからないが、「坂」の方は、起伏の多い土地柄だったからと思われる。まだ小田急線が開通する前、世田谷八幡宮の東側には急な坂があったというから、「宮」は世田谷八幡宮を指すのかもしれない。現在は削られてしまったのか、そんな急坂をイメージするところはない。宮坂と豪徳寺の境を走る世田谷線の駅名は、昭和30年代には「宮ノ坂」だったが、玉川線が世田谷線になった時に「宮の坂」と変わった。
宮坂1丁目
鴎友学園は旧東京府立第一高等女学校(現在の都立白鴎高校)の同窓会により、昭和10年にこの地で創立された。鴎友学園界隈では、昭和33年に北沢用水と鳥山用水の氾濫があり、一階が水没した民家もあったという。
映画から
映画「恋のつむじ風」(昭和44年3月12日公開)に鴎友学園周辺が出てくる。かつての鴎友橋から建て替え以前の鴎友学園を見る。暗渠化前の烏山川も見える。
大分県の宇佐八幡宮の分霊。明治5年に社号を宇佐神社としたが、第二次大戦後、世田谷八幡に戻した。境内にある土俵では、毎年秋の例祭に東京農業大学相撲部を中心とした奉納相撲が行われているという。
昭和20年に旧「豪徳寺前」と旧「宮ノ坂」駅を統合して誕生。41年に駅名を「宮の坂」に改称した。現在は大正14年(1925年)に木造車として製造され、玉川線の車両として渋谷駅~二子玉川駅間を走っていた緑色の旧車両が駅舎跡に展示されている。古い写真は道路を舗装しているところ。いずみ書房らが確認できる。