世田谷世田谷今昔物語

尾山台エリア - 玉堤(たまづつみ)

もとは玉川等々力町の一部。1961年に多摩川の土手近くに位置するからという理由で開校した玉堤小学校の名を借りて、1970年(昭和45年)の住居表示により玉堤として独立。

玉堤1丁目

玉堤1丁目28住宅地図

田園調布五丁目を中心に、四丁目、玉堤一丁目にかけての多摩川と丸子川との間の低地に、玉川温室村があった。昭和5年から15年ぐらいまでの間に、経営面積は計42,000平方メートルにも及んだ。太平洋戦争が始まると、食料確保の為に取り壊されてしまった。玉川温室村で栽培していたのは、カーネーション、スイートピー、シクラメンといった洋花、メロンやイチゴといった高級果実だったという。戦後は徐々に温室は消滅し、現在はマンションらが建ち、その面影はないがバス停に「玉川温室村」と名を残す。


玉堤1丁目24住宅地図

現:24番地にあった「玉川ゴルフコースクラブ」。現在はマンションになっている。


玉堤1丁目28住宅地図

昭和4年開設の「武蔵工業大学」。創立80周年の2009年に「東京都市大学」に改称。

玉堤2丁目

玉堤2丁目11住宅地図
玉堤小学校

昭和33年に世田谷区立尾山台小学校分校として発足し、同年5月に開校。昭和36年に世田谷区立玉堤小学校として独立。「玉堤」の町名の由来となった。


玉堤2丁目13住宅地図

深沢にある創立100年を超える「東京都立園芸高等学校」の玉川果樹園。目黒通りの終点部分。

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