成城エリア - 砧(きぬた)1
「砧」の由来は古代に求められる。多摩川流域に住みついた朝鮮半島からの渡来人が、税として大和朝延に納める布を河原でさらしてたたき、昔、麻やからむしの皮を砧という道具で打って、柔らかくして織物を作った。その道具が地名となった。これは女の人の夜なべ仕事だったため、衣を叩く音が夜のしじまに響いたのだろう。それが歌心を誘うのか、和歌の題材ともなってきた。ただし、土地の名としての砧はなかった。明治22年の市制町村制施行の際に、この故事に基づいて砧村ができたのである。ところが昭和二年に砧村が世田谷区に吸収されて、この名は消滅した。そして昭和30年、飛地整理の結果、砧町として復活し、44年の新住居表示によって現在の砧となった。
砧1丁目
現:1~2番地は当時ほとんど植木生産の矢藤園。現在はサミットらが入る複合施設。同会社も存在する。世田谷通りの向いの創業100年近い「きぬた農園」は存在するが現在は「ピーシーデポスマートライフ世田谷砧店」が大半を占める。
昭和5年に日本放送協会が「技術研究所」を現在地に設立。
現:11番地の戸建は潰され砧一丁目アパートに。宅地化以前の現:21番地~ここも矢藤園の土地だった。真ん中に流れる谷戸川は現在もある。21番地にあった「日本品質機構安全電磁センターならびに計量計測センター」は八王子に移転。