八幡山エリア - 船橋2
船橋3丁目
東京映画スタジオは昭和28年に連合映画撮影所として建てられ、昭和37年に東京映画撮影所が移転し、同所は東京映画撮影所に改称。東宝の「駅前シリーズ」「社長シリーズ」本撮影所でセット撮影が行われた。「帰ってきたウルトラマン・ウルトラマンA・ウルトラマンタロウ」の常設セットも建てられた。昭和55年に閉鎖された。その隣の邸宅、千歳船橋商店街の中、一本の通りに名優の名が付けられている。その大きな邸宅があったことから、自然にそう呼ばれるようになった「森繁通り」。森繁久彌氏は、戦後コメディアンとして日本中に笑いを振りまき、後に数々の映画に出演した実力派俳優だ。2009年に逝去し、一周忌を迎えた2010年10月に、それまでは通称であったのを、世田谷区より正式名称として命名された。駅を起点に660mの通り。現在、東京映画スタジオとともに邸宅はマンションや寮になっている。
船橋4丁目
当時の現:9番地、希望丘小学校周辺。中央に流れる烏山川は現在は道路や緑道になっている。
神明神社(しんめいじんじゃ)は旧船橋村の鎮守。本殿は1990年に過激派の時限発火装置により放火され焼失、1992年に再建された。(wiki)昭和35年創立の船橋小も健在だ。
船橋5丁目
昭和34年にできた公団の西経堂団地は90年代に建て替えられた。現在はURフレール西経堂。
ドラマから
当時の西経堂団地は現:テレビ東京放送「おさな妻」(昭和45年10月2日~)に出てくる。烏山川も現在は暗渠化され遊歩道に。
桜上水2丁目と隣接する「赤堤通り西商店街」。現存する商店もあるがアパートや民家になって商店街とは言えない様相だ。