世田谷エリア - 豪徳寺
1400年ころ、豪徳寺には世田谷城が建てられた。当時はここが世田谷の中心地で、敷地内には豪徳寺があった。その後、城主は没落。江戸粗付になると、荒れ寺となっていた豪徳寺は招き猫のおかげで名所となり、辺りは門前町として再び活気を帯びる。こんな歴史があって、古都の風情は今も色濃く残っている。町名の「豪徳寺」は昭和41年、旧世田谷二丁目の西側と旧世田谷一丁目・三丁目・旧赤堤一丁目のそれぞれ一部を併せてできた。
豪徳寺1丁目
豪徳寺駅を境に南側は「豪徳寺商店街」北側は「山下商店街」。当時から活気があることが伺える。当時玉川線の山下駅も見え、北沢川も流れていたが現在は暗渠化され、長さ約4kmになる遊歩道に。南口の春明保育園は健在。
映画から
当時の玉電山下駅が1968(昭和43年)公開の東宝映画「女と味噌汁」で拝める。左手に見えるビルの共和証券は経堂に移転しているらしい。現在の同地はマンション。
世田谷線沿いにある23番地の「鶴の湯」は健在。
■アクセス 小田急線 豪徳寺 徒歩1分
■TEL 03-3426-2360 ■営業時間 15:00~24:00 ■休み 金曜
豪徳寺2丁目
世田谷線宮の坂駅のすぐにある豪徳寺。豪徳寺の境内右下には、今は亡き、大きな池が見える。ここはガマガエルの大産卵場所で、季節になると周辺から大量に集まってきて、なかには池にたどり着けないカエルも続出したほどだったという。
昭和15年に開園した「世田谷城阯公園」は自然豊かな公園で、世田谷百景にも選ばれている。室町時代から戦国時代の世田谷吉良氏の城跡で、土塁と空掘の跡があり、かつては豪徳寺も城の一部だったとか。1590年(天正18年)豊臣秀吉が小田原の北条氏を滅ぼしたとき、北条氏と親戚関係にあった吉良氏も運命を共にしたため、廃城となった。昭和29年築の「豪徳寺住宅」は健在。