世田谷世田谷今昔物語

玉川エリア - 玉川1

玉川は町の名で、そばを流れる川の名(多摩川)と区別した。しかし、大田区では多摩川を町の名としている。東急多摩川線あり。

玉川1丁目

二子玉川園駅住宅地図
昭和44年二子玉川園駅

「ニコタマ」の愛称で親しまれる二子玉川は、駅周辺に高島屋や、おしゃれな店が建ち並ぶ。二子玉川駅は、平成12年(2000年)8月まで「二子玉川園」といった。かつて遊園地の二子玉川園があったことによるが、遊園地は昭和60年3月に、経営悪化から閉園された。昭和5年の開業以来の地上駅だったが、41年に大井町線が田園都市線に乗り入れることになり、その際に高架になり、あわせて駅の位置が多摩川寄りに移動した。現在は再開発プロジェクトが進行中で、駅前の様子は一変している。


二子多摩川園住宅地図
昭和36年二子玉川園
二子玉川ライズタワー

「二子玉川園」という駅名は駅前に大型遊園地があったからだ。この遊園地は、東京オリンピックの前後、まさに昭和30~40年代にそのピークを迎え、都心から多くの客を集めていた。しかし、新しいレジャーの波に対応できず、昭和60年に閉園した。その跡地には、その後、ナムコワンダーエッグらが入った娯楽施設「二子玉川タイムスバーク」ができ、現在は14番地は再開発工事が進められ、15番地は超高層マンションの二子玉川ライズタワー。現:16番地は二子玉川公園(旧清水家住宅書院)になっている。


玉川高校

昭和30年創立の都立玉川高校は2008年に、砧工業高校と統合し東京都立世田谷総合高等学校となった。現在は校舎は、東京都公文書館となっている。

このページのtopへ