玉川エリア - 瀬田(せた)1
「瀬田」は、このあたりの田では豊富に地下水があふれ、浅瀬のように見えたところから「瀬田」と呼ばれたという。古くは平安時代に書かれた『和名抄』には「勢多郷」という表記がある。南北朝時代には勢多に加えて勢田・世田と書かれたものも見える。岡本から瀬田のあたりは、かつて華族や政財界人が週末を過ごす別邸が点在し、その近代建築が独特な景観を作り上げていた。
瀬田1丁目
当時玉川瀬田町。第一銀行の保養・スポーツ施設「清和園」は昭和46年にセントメリーズ インターナショナルに売却されたという。法徳寺も見える。
現:12番地にある行善寺。行喜寺からの眺望は江戸時代から有名で、将軍も立ち寄ったという。昭和47年の写真では左手に富士ビューマンションが見え、遠く多摩川も見渡せた。
瀬田2丁目
瀬田交差点近くに、かつての東急玉川線瀬田駅があった。駅というより停留所か。当時の地図と写真を見比べると派出所と宮田肉店が確認できる。現在はビルやマンションが立ち並び派出所も近代的になった。