世田谷世田谷今昔物語

等々力エリア - 等々力(とどろき)1

多摩川に向かって開け、川向うの平地を見晴らすことのできる荏原台。その台地の西側に位置する等々力は、往古から人が住み続けけてきた土地だ。しかし、他の玉川地域同様、鎌倉管領足利持氏(1398~1439)以前の記録がないため、いつごろからこの土地が等々力と呼ばれるようになったかは定かではない。(玉川附近の地誌と名所旧蹟案内』)。 トドロキという地名が全国各地に分布しており、等々力渓谷内の、水の湧き出る音や激流、滝音に由来する説(『世田谷区史跡散歩』)、特に渓谷の南側にある不動の滝音が「轟き」わたることに由来するという説(『角川日本地名大辞典』)は根強く支持されている。

等々力1丁目

等々力1-4住宅地図

等々力渓谷の下、当時は玉川等々力1丁目、現:等々力1丁目4、5番地に協栄生命別館と寮があった。協栄生命は2000年に倒産。現在はジブラルタ生命保険という外資系になっている。

等々力2丁目

等々力駅住宅地図
現在の等々力駅

東急等々力駅。今でも僅かながら当時の雰囲気を残している。

等々力3丁目

等々力駅前商店街住宅地図
昭和36年等々力駅前商店街
現在の等々力駅前商店街

赤矢印の方向から商店街を撮ったもの。古い写真の停車中のバスは、当時、大森駅と成城学園前駅の約20kmを結んでいた東急バスの長距離路線だったという。4番地の区役所玉川支所は現在は区民会館と併設。2番地の協和銀行はりそな銀行になりそのまま。隣りの城南信用金庫は8番地に移っている。


万願寺・玉川神社・薬師如来瑠璃光院

現在は万願寺・玉川神社が並ぶ上、等々力3丁目26番地、青丸に薬師如来瑠璃光院が出来ている

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